“それだけじゃ”と“これだけは”

 昔耳にした話で、「半分になった飴の瓶」のお話があります。

その半分になった中身を見て、ある子供は「もう半分しか残っていない」と思い、嘆きます。

しかし、同じ瓶の中身を見た別の子供は「まだ半分も残っている」と思ったそうです。



 さて、同じ飴の瓶を見たにも関わらず二人の子供の感想は180°違ったものとなっています。

何故このような事が起こるのでしょうか。


前者の子供は一つの飴を舐めるのが早いから?

または、とても気に入っていて大事に舐めてきたから?

もしくは、ただ単に欲張りだから?


 真相はわかりませんが、確かこの話が提示したいことは“ものは考えよう”という事だったと思います。

同じ現状でも、見方を変えればプラスにもマイナスにも変わるということ。



 先日、何処かの誰かが“それだけじゃ”と嘆いていました。

つまりは、“これだけは”というものがあるということ。



 とりあえず本日言いたかったことは、“ものは考えよう”ってこと。